山本覚馬やまもとかくま
会津藩士、砲術家、政治家[日本]
(文政11年1月11日生)
1828年 2月25日 生
1892年 12月28日 死去享年65歳
山本 覚馬(やまもと かくま、旧字体:山本 覺馬、文政11年1月11日(1828年2月25日) - 明治25年(1892年)12月28日)は、幕末の会津藩士、砲術家、明治時代の地方官吏、政治家。
京都府顧問、府議会議員(初代議長)として初期の京都府政を指導した。
また、同志社英学校(現:同志社大学)の創立者・新島襄の協力者として、現在の同志社大学今出川校地の敷地を譲った人物としても知られている。
号は相応斎。
推定関連画像
山本覚馬さんが誕生してから、196年と22日が経過しました。(71611日)
亡くなってから、131年と80日が経ちました。(47928日)
23683日間 生きました。