垣内哲也かきうちてつや
元プロ野球選手[日本]
1970年 6月6日 生 (満54歳)
垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、和歌山県日高郡日高川町出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ。
経歴=
西武時代=
日高高中津分校から、1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け、契約金3,000万円・年俸400万円(金額は推定)で捕手として入団。
分校出身者(硬式)としてはプロ野球史上初の指名であった。
強打・俊足の持ち主で、「秋山二世」、「和製大砲」と呼ばれる。
正捕手・伊東勤の存在で出場機会に恵まれなかったが、1990年にファームで頭角を現す。
1991年から強打を生かす為、外野手にコンバートされた。
イースタンリーグで本塁打、打点の2冠を獲得した。
1993年には一軍定着を果たし、外野だけでなく捕手としての出場もあった。
1994年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでは槙原寛己に三振に打ち取られ最後の打者になっている。
1995年には初の開幕スタメンを勝ち取り5月終了までに二桁本塁打を放つなど本塁打王争いにも加わっていたが、6月に入ると他球団のマークがきつくなりだし不振に陥る。
オールスターゲームにも出場したが調子が上がらず8月末には故障離脱でシーズンを終える。
シーズンでは95試合の出場ながらこの年初の二桁となる14本塁打を放った。
1996年には左翼手としてレギュラーに定着し、自身唯一の年間規定打席に到達しキャリアハイの28本塁打を記録した。
1997年には清原和博がFAで読売ジャ ……
垣内哲也さんが誕生してから、54年と168日が経過しました。(19892日)