三浦淳寛みうらあつひろ
元男子サッカー選手[日本]
(本名・旧登録名 : 三浦淳宏)
1974年 7月24日 生 (満50歳)
三浦 淳寛(みうら あつひろ、本名および選手時代の登録名:三浦 淳宏〈読み同じ〉、1974年7月24日 - )は、埼玉県所沢市生まれ、大分県大分市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。
現役時代のポジションはミッドフィールダー。
元日本代表。
サムデイ所属。
フリーキックの名手で、日本における無回転フリーキック、ブレ球の先駆者。
妻は元U-21女子日本代表の大竹夕魅。
長女がいる。
来歴=
プロ入りまで=
埼玉県所沢市生まれで、西武ライオンズのファン。
子供の頃は野球をやっていてプロ野球選手を目指していた。
ポジションは捕手。
小学校1年生のときに大分県大分市に引っ越し、小学校3年生からサッカーを始める。
国見高校時代に背番号10を担い、攻撃的MFとして活躍。
全国高校選手権で優勝2回、ベスト4が1回の実績を残した。
国見高校卒業後、青山学院大学に入学するも、1994年、大学を中退し、横浜フリューゲルスに入団した。
横浜フリューゲルス時代=
ジーニョ、セザール・サンパイオ、エバイールのブラジルトリオや、山口素弘、前園真聖、楢﨑正剛らと共にプレーした。
横浜F加入初年度の1994年は公式戦出場がなく、自ら志願してシーズンオフにイタリア・セリエBのコモへの留学を経験する。
入団当初は攻撃的MFだったが、2年目に左サイドにコンバート後に頭角を表し、レギュラーに定着してからはジーニョ、前園とのコンビでサイドを切り崩していった。
……
三浦淳寛さんが誕生してから、50年と122日が経過しました。(18385日)