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ダライ・ラマ14世Dalai Lama XIV

宗教家、チベット仏教 最高指導者[チベット]

1935年 7月6日 生 (満84歳)

ダライ・ラマ14世 - ウィキペディアより引用

ダライ・ラマ14世(1935年7月6日(チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマである。
法名はテンジン・ギャツォ(チベット文字:བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་; ワイリー方式:Bstan-'dzin Rgya-mtsho)。
1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。
4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年に中華人民共和国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。

映像作品

関連書籍

ダライ・ラマじゅうよんせいDalaiLamaXIV [生]1935.6.6.青海チベット人の精神的指導者。名はテンジン・ギャツォ。1940年第14世としてポタラで即位。中華人民共和国の成立後,中国の一部としてチベット政府が地域自治を行なうべきだとの呼びかけにこたえなかったため,1950年夏中国人民解放軍により昌都を占領され,中国の和平解放を受け入れて1951年5月チベット協定に調印した。1954年北京に赴き,全国人民代表大会常務委員会副委員長に選出される。1956年4月チベット自治区籌備委員会主任委員に就任。1959年3月ラサで起こった中国政府に対する暴動が鎮圧されたため,インドに亡命(→チベット暴動)。以後インドを基盤にチベット独立運動を指導,1960年代初期亡命政府を樹立。1978年12月中国政府はチベットが中国の一部であることを前提としてダライ・ラマの帰国と交渉を歓迎と発表,ダライ・ラマは代表を北京に送ったが合意にいたらなかった。1987年9月アメリカ合衆国議会で「人権5項目」を発表。同1987年10月ラサで独立を求める暴動が発生。1988年6月ヨーロッパ議会で「ストラスブール提案」を行ない,中国政府から「半独立」,「変相独立」として拒否された。1989年3月ラサで再度暴動が起こり,中国政府は戒厳令を宣言。1989年ノーベル平和賞を受賞。2011年チベット亡命政府代表の座をロブサン・センゲに禅譲した。(→チベット問題) (引用元 コトバンク)