生年月日データベース

内藤大助ないとうだいすけ

プロボクシング選手[日本]

1974年 8月30日 生 (満50歳)

内藤大助 - ウィキペディアより引用

内藤 大助(ないとう だいすけ、1974年8月30日 - )は、日本の元プロボクサー。
北海道虻田郡豊浦町出身。
元WBC世界フライ級王者。
宮田ジムに所属していた。
引退後はタレントやボクシング解説者として活動している。
マネジメント先はトラロックエンターテインメント。
血液型O型。
既婚。
2男の父。
来歴= プロデビューまで= 母親は、大助を身ごもっている時に夫と離婚しており、アルバイトで大助と4歳上の長男を養い、後に小さな民宿を始めた。
一家の生活は楽ではなかったものの、学校ではマラソン大会や運動会の徒競走で必ず1位になるなど運動神経抜群で、クラスでは人気者だった。
中学では卓球部に所属、2年になるといじめの標的にされた。
生活が苦しかったため、兄のお下がりの制服やスキーウェアなどを着ていけば「ボンビー(貧乏)」というあだ名で馬鹿にされた。
給食のおかずや貴重品を取り上げられたり、教師に見つからない人目につかない場所で暴行も受けた。
内藤は胃潰瘍を患うまでに追い詰められるも、教師からはいじめには気付いてもらえず、気の強い母親への相談も諦め、1人でいじめに耐える中学生活を送った。
進学先の北海道豊浦高等学校にいじめ加害者らが進学しなかったことから、ようやくいじめから解放され、新しい仲間との出会いを通じて本来の明るさを取り戻す。
ハンドボール部に所属し、3年時には同校初の全道大会出場に貢献した。

内藤大助さんが誕生してから、50年と83日が経過しました。(18346日)

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