生年月日データベース

北大路魯山人きたおおじろさんじん

陶芸家書家、芸術家、美食家[日本]

1883年 3月23日

1959年 12月21日 死去肝硬変享年77歳
北大路魯山人 - ウィキペディアより引用

北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん、本名:北大路 房次郎〈きたおおじ ふさじろう〉、1883年〈明治16年〉3月23日 - 1959年〈昭和34年〉12月21日)は、日本の芸術家。
幼くして父親を亡くしたうえに母親からも捨てられるが、複数の養親の家を転々としながら独学で美に関する見識を高め、生涯を通じて、篆刻、絵画、陶芸、書道、漆工、料理などのさまざまな分野で活動した。
私生活では過酷な幼児体験から他者を信頼することができず、誰に対しても率直な発言をおこなったために、周囲と多くの摩擦を引き起こして孤独な晩年を送った。
生涯= 1883年(明治16年)、上賀茂神社の社家である北大路清操(きよあや / せいそう)と、同じく社家の西池家出身である登女(とめ)の次男として生まれる。
士族の家柄ながら生活は貧しく、社会情勢は版籍奉還と1871年(明治4年)に施行された俸禄制と世襲制の廃止による混乱期にあった。
父・清操は東京と京都を往復する暮らしをしていたが、房次郎(魯山人)が生まれる4か月前に自殺。
母・登女は知り合いで巡査の服部良知の紹介で滋賀県滋賀郡坂本村(現:大津市坂本)の農家に房次郎を預けたのちに失踪。
預け先でも房次郎は放置され、その状況を見かねた服部夫人が連れ戻した。
1883年9月6日、房次郎は服部家に入籍して服部房次郎となる。
しかし、7月2日に服部巡査は行方不明になり、同年秋に巡査の妻も病死したため、この養子の夫婦が義理の弟 ……

北大路魯山人さんが誕生してから、142年と53日が経過しました。(51919日)
亡くなってから、65年と147日が経ちました。(23888日)
28031日間 生きました。

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