水野修孝みずのしゅうこう
作曲家[日本]
1934年 2月24日 生 (満90歳)
水野 修孝(みずの しゅうこう、1934年2月24日 - )は、日本の作曲家、指揮者。
経歴と作品概論 =
1934年、徳島に生まれる。
父親は東京帝国大学で農芸化学を学び卒業後、千葉大学で栄養化学を教えた人物。
2歳の時に千葉県茂原市へ引っ越し、現在も千葉県八千代市在住。
戦争末期に疎開を行った際、2回に分けて荷物を運んだが、2回目の荷物を運び出す前に空襲の被害を受ける。
1回目に運んだ荷物の中に母親のピアノと、父親のクラシック音楽のレコードコレクションが含まれていたことが、その後の彼の人生を決定づけた。
中学から高校時代、学問、芸術、スポーツなどあらゆることに熱中する。
小説家を志し執筆活動をしたり、野球チームに所属し打率5割のトップバッターとなるが、それらの中で音楽に最も惹かれるようになる。
千葉県立千葉高等学校から千葉大学文学部に入学後、法経学部法律政治科に転科。
学内のオーケストラ(千葉大学管弦楽団)でヴィオラを弾くが、やがて才能が周囲に認められ、大学3年より指揮をするようになる(以後、1995年まで指揮を続けた)。
またその頃、東京交響楽団の定期演奏会で聴いた、ヘンツェの交響曲第2番に大きな感銘を受け、作曲家を志す。
千葉大学4年の時、音楽を志す決意を完全に固め、半年で受験準備をして東京藝術大学楽理科に入学した。
柴田南雄、長谷川良夫、小泉文夫に師事し、専攻科を2年、副手を3年を歴て1961年に卒業した。
水野修孝さんが誕生してから、90年と270日が経過しました。(33143日)