生年月日データベース

一柳慧いちやなぎとし

作曲家ピアニスト[日本]

1933年 2月4日

2022年 10月7日 死去享年90歳
一柳慧 - ウィキペディアより引用

一柳 慧(いちやなぎ とし、1933年2月4日 - 2022年10月7日)は、日本の作曲家、ピアニスト。
兵庫県神戸市生まれ。
オノ・ヨーコの元夫である。
人物[編集] 父はチェリストの一柳信二。
母は自宅でピアノを教えていた。
2歳で東京に転居し初等部から青山学院で学ぶ。
若い時から才能を発揮し、ピアノを原智恵子、作曲を平尾貴四男、池内友次郎らに師事。
青山学院高等部在学中、1949年から1951年にかけて、毎日音楽コンクール作曲部門で3年連続入賞(うち2回は1位)する。
1954年、19歳で渡米し、1957年までニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。
1956年にオノ・ヨーコと結婚(1962年に離婚)。
1959年、同地のニュー・スクールでジョン・ケージの講座に参加し、彼の思想に大きく影響を受けたことがきっかけで、図形楽譜や不確定性の音楽を取り入れ、フルクサスなどの前衛芸術活動に参加する。
1961年に帰国。
同年8月に大阪で行われた「二十世紀音楽研究所第4回現代音楽祭」を皮切りに、さまざまな演奏会でケージを代表とするアメリカの前衛音楽および自己の作品を紹介し、音楽評論家吉田秀和をして「ケージ・ショック」と言わしめるほどの衝撃を日本の音楽界に与えた。
やがて、アメリカの実験音楽のもう一つの流れであるミニマル・ミュージックにも触発され、1968年にスティーヴ・ライヒの「ピアノ・フェーズ」を日本初演した。
1972年には「ピアノ・メディア」を発表している。

一柳慧さんが誕生してから、91年と173日が経過しました。(33411日)
亡くなってから、1年と294日が経ちました。(659日)
32752日間 生きました。