矢崎泰久やざきやすひさ
ジャーナリスト[日本]
1933年 1月30日 生 (満91歳)
矢崎 泰久(やざき やすひさ、1933年1月30日 - 2022年12月30日 )は、日本の編集者。
元『話の特集』の編集長、フリージャーナリスト。
私塾「学校ごっこ」常任講師。
別名、笠倉 泰久。
来歴・人物=
文藝春秋社社員で菊池寛の秘書役だった矢崎寧之(笠倉寧之)の息子として東京府に生まれる。
幼名、祥夫(さちお)。
国文学者物集高量は父方伯母八重の夫。
やはり父方おばの佐藤碧子は菊池寛の秘書かつ愛人をつとめ、小磯なつ子の筆名で直木賞候補作家となった。
父の義兄(佐藤碧子の夫)の石井英之助は六興出版社社長。
弟は矢崎寧之の跡を継いで日本出版社代表となった矢崎泰夫。
次男は元『週刊アスキー』副編集長で、Engadget日本語版の最後の編集長の矢崎飛鳥。
義弟(妹の夫)に、文化放送社長の家根敏明。
話の特集社独立=
小学校から高校までを成城学園で過ごす。
早稲田大学政治経済学部政治学科中退。
大学では山岳部だった。
東松原で、父親の資金により「世田谷ボディビル」を経営して、会員となった深沢七郎と親しくなる。
日本経済新聞社記者や内外タイムス記者を経験。
犬丸徹三(帝国ホテル社長、日本ホテル協会会長)から、東京オリンピックにむけてホテルの客室に置く外国人観光者向けの雑誌の創刊について、泰久の父親が経営する日本社に依頼があり、まだ新聞記者だった泰久が編集長役をまかされ、1964年4月に『エルエル』のパイロット版を和田 ……
矢崎泰久さんが誕生してから、91年と316日が経過しました。(33554日)