大瀬康一おおせこういち
俳優[日本]
1937年 12月17日 生 (満87歳)
大瀬 康一(おおせ こういち、1937年10月27日- )は、日本の俳優、実業家。
本名は、大瀬 一靉(おおせ かずなり)。
芸名は、1958年2月 - 1959年7月に放送されたテレビドラマ『月光仮面』の原作者の川内康範から、「康」の字をもらったものである。
『月光仮面』の祝十郎 / 月光仮面として知られた。
略歴・人物=
神奈川県横浜市磯子区岡村出身。
「一靉(かずなり)」という名前は、材木商の父の縁で、徳富蘇峰の妻静子が付けてくれたが、父は南方戦線で戦死したため母の手で育てられた。
滝頭小学校では美空ひばりと同級生で、大瀬は岡村中学校に進学し卒業した。
慶應義塾高等学校中退後。
、俳優の龍崎一郎の紹介 で東映東京撮影所の大部屋俳優をしていたところ、『月光仮面』の主役に抜擢される。
以降、宣弘社制作のヒーロー番組に続けて出演し、人気を博した。
『豹の眼』(1959年)の終了後、大映と契約して映画10数本に出演した。
『隠密剣士』(1962年)は大映時代に宣弘社からの依頼を断りきれず出演したというが、こちらも大ヒットとなり代表作の1つに数えられている。
1962年の時点では東京プロに所属していた。
1969年、企画会社「OT企画」を興し、経営者となる。
成田三樹夫や長谷川待子らを擁し、芸能マネージメントやテレビ番組制作を手掛ける。
俳優とマネージメントを両立していたが、1972年2月の舞台出演を最後に俳優を引退した。
私生活では、1964年に女 ……
大瀬康一さんが誕生してから、87年と150日が経過しました。(31927日)