生年月日データベース

小林利雄こばやしとしお

広告プロデューサー[日本]

1921年 3月28日

2007年 4月29日 死去享年87歳

小林 利雄(こばやし としお、1921年3月28日 - 2007年4月29日)は、日本の広告プロデューサー・テレビ映画製作者。
かつて存在した日本の広告代理店・宣弘社の元代表取締役社長・元取締役会長。
静岡県出身。
戦後に大陸から復員し、父が創業した社を継いで2代目社長となり、宣弘社を屋外・交通広告主力の広告代理店に育て、「駅広告の小林」「ネオンの小林」「銀座のネオンを支配する男」と異名を取った。
また国産初のテレビ映画『月光仮面』を企画制作したことで知られる。
略歴= 高等小学校卒業後、東京に出ていた父親に誘われ上京。
夜間学校に通いながら、広告会社「告天社」に給仕として務める。
1940年、法政大学商業学校(後の法政大学高等学校)を卒業。
1941年12月、父の経営する中村宣弘社(のちの宣弘社、1955年に改称)に入社。
1945年3月、召集を受け中国大陸へ出兵。
重機関銃隊に配属される。
1946年4月、現在の内蒙古より佐世保へ復員。
1948年12月、中村宣弘社代表取締役に就任。
同月、東京駅の改札ドームに武田薬品のネーム入り巨大クリスマスツリーを設置、話題となる。
1950年代、当時まだ橋の存在した数寄屋橋を中心に、マツダビルディングに東芝(水銀灯照明)、ソニー(ネオンサイン電光ニュース)、丸善石油(ネオンサイン)、不二家フランスキャラメル(看板)とすべて小林が手がけ、「銀座の夜を明るくした男」とも呼ばれた。
1958年2月24日、TBSで ……

小林利雄さんが誕生してから、103年と238日が経過しました。(37859日)
亡くなってから、17年と207日が経ちました。(6416日)
31443日間 生きました。

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