石橋雅史いしばしまさし
俳優、空手家[日本(台湾)]
1933年 1月4日 生
2018年 12月19日 死去享年86歳
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日[2][3] - 2018年〈平成30年〉12月19日[4])は、日本の俳優、空手家。
段位は剛柔流九段・極真カラテ七段[5][6]。
本名:石橋 雅美(いしばし まさみ)[2][3][7]。
台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ[2][3]、福岡県柳川市へ転居[3]。
福岡県立伝習館高等学校[3]、日本大学藝術学部演劇学科卒業[3][8][9]。
竹内事務所に所属していた[10]。
来歴・人物=
父は職業軍人で、弟が二人いる[3]。
終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす[3]。
1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む[3][2]。
やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ[3]。
1964年の劇団文化座退団以降はテレビドラマや映画で活動するようになった[2][3]。
1970年に『野獣都市』(東宝)で映画初出演以降は映像の仕事がメインとなるが、1973年の千葉真一主演の映画『ボディーガード牙 必殺三角飛び』に出演し、千葉と戦う敵を演じたことが転機となる[11]。
翌年の映画『激突! 殺人拳』では千葉真一の推薦により敵役に抜擢され[11]、同作では主演の千葉や監督である小沢茂弘の要望で格闘シーンに全て立ち会うなど、映画スタッフとし ……
石橋雅史さんが誕生してから、92年と177日が経過しました。(33780日)
亡くなってから、6年と193日が経ちました。(2385日)
31395日間 生きました。