徳川家定とくがわいえさだ
江戸幕府第13代将軍[日本]
(文政7年4月8日生)
1824年 5月6日 生
1858年 8月14日 死去享年35歳

徳川 家定(とくがわ いえさだ)は、江戸幕府の第13代将軍(在任:嘉永6年(1853年) - 安政5年(1858年))。
第12代将軍・徳川家慶の4男。
生涯=
将軍就任以前=
文政7年(1824年)4月8日、第12代征夷大将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれる。
母は幕臣・跡部正賢の娘・堅子。
第11代征夷大将軍・徳川家斉は祖父、徳川治済は曽祖父、徳川宗尹は高祖父にあたる。
家慶は14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは家定だけであった。
しかし家定も幼少の頃から病弱で、人前に出ることを極端に嫌った。
家定の病状については、大変な癇癪持ちで、目や口が時には痙攣し、それとともに首まで動く奇態を見せる始末だった。
おまけに正座ができず、言葉もやや訥して、吃るようだったという。
しかも17歳の時には、重い疱瘡にかかり、これは回復したものの、顔全体に痘痕が残ったといわれる。
つまり、身体を制御するのがうまくできず、言葉も不明瞭で、肉体的な障害があり、家定自身もそれを恥じてか、いささか鬱病的なところがあったというのである。
天保12年(1841年)に大御所・徳川家斉(第11代将軍。
家定の祖父)の死後、(第12代将軍・家慶の)世嗣となる。
しかし家慶は、家定の継嗣としての器量を心配して、一橋家の徳川慶喜を将軍継嗣にしようと考えたほどである。
だが、老中・阿部正弘らが反対したため、結局は家定を将軍継嗣とした。
黒船来航の19日後にあたる ……
徳川家定さんが誕生してから、201年と9日が経過しました。(73424日)
亡くなってから、166年と274日が経ちました。(60906日)
12518日間 生きました。