長倉三郎ながくらさぶろう
化学者[日本]
(東京大学名誉教授・物理化学)
1920年 10月3日 生
2020年 4月16日 死去享年101歳
長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2020年4月16日)は、日本の化学者(物理化学)。
学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1953年)。
「電荷移動理論」を提唱・実証し、分子科学・スピン化学を開拓した。
東京大学物性研究所教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構機構長、総合研究大学院大学初代学長、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) 会長、日本学士院第23代院長などを歴任。
位階は従三位、勲等は勲一等。
文化勲章受章者。
経歴=
1920年、静岡県駿東郡鷹根村(現沼津市)柳沢生まれ。
静岡県立沼津中学校を経て、1943年東京帝国大学理学部化学科卒業。
大学院進学同日に休学し海軍技術見習尉官に任じられ青島方面特別根拠地付を命じられる。
海軍技術大尉として終戦を迎える。
1945年東京帝国大学輻射線化学研究所嘱託、水島三一郎に師事。
1946年9月同大学助手、1949年2月東京大学助教授。
1953年1月東京大学より理学博士の学位を取得、博士論文の題目は「不飽和化合物の電子構造の研究」。
またこの頃、東京の若手研究者たちで「電子状態懇談会」を組織した。
ここで井早康正などと行われた議論が、後の分子科学研究所設立の布石となる。
1955年から1957年にかけて留学、ロバート・マリケン(シカゴ大学)が主宰する分子構造・分光研究室で研究に従事した。
1959年新制東京大学の物性研究所教授に就任。
1961年から1981年まで理化学研究所主任研究員を ……
長倉三郎さんが誕生してから、104年と49日が経過しました。(38035日)
亡くなってから、4年と219日が経ちました。(1680日)
36355日間 生きました。