古谷綱武ふるやつなたけ
評論家[日本]
1908年 5月5日 生
1984年 2月12日 死去享年77歳
古谷 綱武(ふるや つなたけ、1908年5月5日 - 1984年2月12日)は、日本の文芸評論家。
古谷重綱の子。
生涯=
ベルギー生まれ。
父親が外交官だったため小学生になるまではロンドンで暮らす。
小学生時代は父の赴任に従い国内外を転々とし、13歳で一人日本(宇和島の叔父宅)に残り、1922年に旧制宇和島中学校(現在の愛媛県立宇和島東高等学校)に入学。
1924年、母と兄弟が帰国し、青山学院中等部に編入、1925年に旧制成城中学校に転入。
1926年に成城高等学校に入学するが、1929年に中退した。
外交官を辞してブラジルでのバナナ栽培で成功した父親が東中野に自宅を建設、高校生の綱武がその設計をした。
高校中退後、同級生だった大岡昇平らと同人雑誌『白痴群』に参加し、中原中也、小林秀雄らと知り合い、文藝評論を行う。
20代で最初の妻と結婚。
父親からの仕送りで裕福であったため、作家仲間を集めて自宅でしばしば古谷サロンを開いた。
1936年に評論集『横光利一』を刊行し、文芸評論家としてデビュー。
戦争で父親からの仕送りが止まったため生活困窮し、家庭も不和となり、家財や家を売り、女性評論を手掛け始める。
1944年応召、翌年復員。
戦後は1950年代初期まで亀井勝一郎や堀秀彦らと並んで恋愛論の書き手として知られ、恋愛を教養主義的な色彩や人生論、青春論とあわせて論じ、若い世代に人気を博した。
女性論、児童文学論などで100冊に及ぶ多数の著作があり、雑 ……
古谷綱武さんが誕生してから、116年と201日が経過しました。(42570日)
亡くなってから、40年と284日が経ちました。(14894日)
27676日間 生きました。