生年月日データベース

亀井勝一郎かめいかついちろう

文芸評論家[日本]

1907年 2月6日

1966年 11月14日 死去享年60歳
亀井勝一郎 - ウィキペディアより引用

亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年〈明治40年〉2月6日 - 1966年〈昭和41年〉11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本芸術院会員。
当初は左翼的政治運動に参加したが転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論や文明批評で活躍した。
「日本浪曼派」を創刊。
著書に『大和古寺風物誌』(1943年)、『現代史の課題』(1957年)など。
来歴・人物= 函館貯蓄銀行支配人の父・喜一郎、母・ミヤの長男として、北海道函館区(現・函館市)元町で生まれる。
旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)では田中清玄、大野一雄と同期。
旧制山形高等学校(現・山形大学)を経て、1926年(大正15年)に東京帝国大学文学部美学科に入学。
1927年(昭和2年)には「新人会」会員となりマルクス・レーニンに傾倒し、大森義太郎の指導を受ける。
社会文芸研究会、共産主義青年同盟に加わり、翌1928年(昭和3年)には退学。
同年4月20日には治安維持法違反の疑いにより札幌で逮捕され、市ヶ谷刑務所と豊多摩刑務所に投獄され、1930年(昭和5年)10月1日に転向上申書を提出し、10月7日に保釈される。
その後、1933年(昭和8年)12月、懲役2年(執行猶予3年)の判決を受けた。
この間、1932年(昭和7年)にはプロレタリア作家同盟に属すが、翌年には解散。
以後、同人雑誌『現実』(1934年)、『日本浪曼派』(1935年)を創刊し、評論を発表する。
1934年、最初の評論集『転形期の文学』を刊行。
1937年(昭 ……

亀井勝一郎さんが誕生してから、117年と289日が経過しました。(43023日)
亡くなってから、58年と7日が経ちました。(21192日)
21831日間 生きました。

推定関連画像