丹下健三たんげけんぞう
建築家[日本]
1913年 9月4日 生
2005年 3月22日 死去享年93歳
丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、日本の建築家、都市計画家。
一級建築士(登録番号第15182号)。
位階勲等は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章受章。
フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章。
カトリック信徒(洗礼名:ヨセフ)。
日本では「世界のタンゲ」と言われたように、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。
第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。
磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの世界的建築家を育成した。
また、日本人並びにアジア人として初めてプリツカー賞を受賞した人物である。
年譜=
1913年(大正2年) 丹下辰世(ときよ)とテイ(禎・禎子)の三男として大阪府堺市に生まれる。
住友銀行社員であった父の転勤によって1916年中国の漢口へ。
数年後さらに上海のイギリス租界に移り住む。
1918年(大正7年) 上海・日本尋常小学校入学。
1921年(大正10年) 叔父が急逝し、家業のタオル製造業を父が継ぐため愛媛県今治市に一家で移住。
今治の第二尋常小学校(現・今治市立吹揚小学校)に編入。
1926年(大正15年) 旧制今治中学(現・今治西高校)入学。
1930年(昭和5年) 今治中学四年修了(飛び級)で旧制広島高校(現・広島大学)理科甲類に進学。
同校図書室で見た外国雑誌のル・コルビュジエの記事に ……
丹下健三さんが誕生してから、111年と78日が経過しました。(40621日)
亡くなってから、19年と244日が経ちました。(7184日)
33437日間 生きました。