生年月日データベース

袴田英利はかまだひでとし

プロ野球選手、コーチ[日本]

1955年 8月13日

2025年 2月8日 死去脳出血享年71歳

袴田 英利(はかまだ ひでとし、1955年8月13日 - 2025年2月8日)は、静岡県静岡市葵区出身のプロ野球選手(捕手)、コーチ。
経歴= 静岡市立大里中学校時代は県大会で優勝。
静岡高に進学が内定していたが、袴田の父親と静岡県自動車工業高等学校の校長が高校時代の同期で口説き落とされて自動車工に進んだ。
自動車工では捕手、四番打者として1973年の全国高等学校野球選手権静岡大会で決勝に進出するが、後に大学同期となる植松精一らのいた静岡高に敗退。
同年ドラフト3位でロッテオリオンズに指名されるも入団せず。
進学した法政大学には、2年上に中西清治、土屋恵三郎、同期にウィリー木原(大昭和製紙)といった好捕手がいたが、競争を勝ち抜き2年生時の1975年春季リーグから定位置を獲得。
江川卓のほか中林千年(松江商出身)や鎗田英男(熊谷商出身)ら同期の投手陣、1年上の船木千代美投手(秋田市立高出身)らとバッテリーを組み、1年上の高代延博、同期の植松、金光興二、島本啓次郎、下級生の居郷肇といった選手たちとともに法政黄金時代を築いた。
東京六大学野球リーグでは5回の優勝を経験、1976年から明治神宮野球大会で2年連続優勝。
リーグ通算89試合出場、287打数86安打、打率.300、6本塁打、43打点。
ベストナイン(捕手)4回。
1975年、1976年には日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。
1978年、ドラフト1位でロッテに入団。
即戦力として期待された。
197 ……

袴田英利さんが誕生してから、69年と233日が経過しました。(25435日)
亡くなってから、53日が経ちました。
25382日間 生きました。