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池田敏雄いけだとしお

コンピューター技術者[日本]

1923年 8月7日

1974年 11月14日 死去享年52歳
池田敏雄 - ウィキペディアより引用

池田 敏雄(いけだ としお、1923年8月7日 - 1974年11月14日)は、日本のエンジニアで、日本のコンピュータ開発のパイオニア。
1970年から富士通役員を務め、死後に専務を贈られた。
正五位勲三等。
日本の汎用機黄金期を築いた業績から、没後に“富士通の池田敏雄・NECの水野幸男”と双璧として譬えられることも多い。
日本のコンピュータ産業の父である。
来歴= 生い立ち= 1923年8月7日、東京の東両国にある薬種商の長男として生まれた。
小学校の頃から算数に秀でており、成績は上位だった。
近くにあった国技館に通い、相撲も得意としていた。
1936年に池田が東京市立第一中学(後の東京都立九段高等学校)に入学すると、背が高かったためバスケットボール部に勧誘された。
中学5年の1940年の全国大会では全試合ダブルスコアで優勝した。
学業では数学の才能を認められ、特別な指導を受けた。
1941年、バスケット部のOBから誘われて旧制浦和高等学校(後の埼玉大学)を受験し、進学した。
12月には太平洋戦争が始まったが、1942年の全国大会は実施され、浦和高校が優勝した。
翌年以降は中止され、バスケット部は廃止された。
1943年に大学を受験し、東京工業大学電気工学科に入学した。
富士通入社= 1946年に富士通信機製造株式会社(1967年に富士通と改名)に入社した。
池田敏雄が入社してすぐの1947年の秋、富士通では電話機のダイヤルの作動にトラブルが起きる問題が発生した ……

池田敏雄さんが誕生してから、101年と107日が経過しました。(36997日)
亡くなってから、50年と7日が経ちました。(18270日)
18727日間 生きました。

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