生年月日データベース

串田和美くしだかずよし

俳優演出家[日本]

1942年 8月6日 生 (満82歳)

串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、日本の俳優、演出家。
日本大学藝術学部特任教授。
佐々木高行は高祖父にあたる。
人物= 東京都小金井市出身。
成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。
日本大学芸術学部演劇学科中退。
父は哲学者・詩人の串田孫一。
弟はグラフィックデザイナーの串田光弘。
祖父は三菱銀行初代会長を務めた串田万蔵。
母方の祖父は國學院大學理事長・学長を務めた侯爵の佐佐木行忠。
行忠の祖父が佐々木高行。
プロフィール= 1965年俳優座養成所を卒業し劇団文学座入団。
1966年佐藤信、斎藤憐、吉田日出子らと共に自由劇場を結成。
六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」を本拠地とする。
1968年自由劇場と六月劇場、発見の会が合体して演劇センター68(のちの黒テント)が組織され全国移動公演に移行。
1969年9月、観世栄夫と共に東ドイツに渡り、1か月東ベルリンに滞在。
その後1970年3月まで1人でフランスに滞在。
1971年黒テントを脱退。
1972年、自由劇場の実質解散後、吉田日出子に声を掛け、六本木自由劇場を本拠地に演劇活動を再開。
この頃から演出、美術を手がける。
1975年、正式にオンシアター自由劇場に劇団名を改める。
『上海バンスキング』(1979年)、『もっと泣いてよフラッパー』(1977年)、『クスコ』などのヒット作を産み出す。
この時期、俳優としては藤川延也という芸名を用いた。
1985年、Bunkamur ……

串田和美さんが誕生してから、82年と107日が経過しました。(30058日)

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