生年月日データベース

川口知哉かわぐちともや

プロ野球選手[日本]

1979年 8月25日 生 (満45歳)

川口知哉 - ウィキペディアより引用

川口 知哉(かわぐち ともや、1979年〈昭和54年〉8月25日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ・監督。
来歴= プロ入り前= 平安高3年生時の1997年、第69回選抜大会と第79回全国選手権にエース兼4番打者として出場。
春はベスト8に進出、夏は決勝で強打者の中谷仁らを擁する智弁和歌山に3-6で敗れたが、平安を準優勝へと導いた。
なお、この夏の大会で投げた全投球数「820球」は1大会としては第88回全国選手権にて早実の斎藤佑樹(948球)と、第100回全国選手権にて金農の吉田輝星(881球)に次ぐ記録。
最高球速140 km/h台の直球と落差の大きいカーブを武器に当時「西のドクターK」と呼ばれ、甲子園未出場ながら「東のドクターK」として著名な選手であった水商の井川慶、鳥取城北の能見篤史と並んで「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれた。
全国大会での実績、実力とビッグマウスぶりから注目度はNo.1であった。
同年のドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブ、近鉄バファローズ、ヤクルトスワローズ、横浜ベイスターズの4球団から1位指名を受け、抽選の結果、希望通りオリックスへの入団が決まった。
プロ入り後= プロ入り後は故障や制球難に苦しみ、制球難克服の為に毎年のようにフォーム改造に挑んだが成果は上がらなかった。
1年目の1998年は一軍登板はなく、二軍(ウエスタン・リーグ)での登板のみにとどまった。
1999年10月に一軍初登板を果たした ……

川口知哉さんが誕生してから、45年と89日が経過しました。(16525日)

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