山脇光治やまわきこうじ
元プロ野球選手[日本]
1962年 10月13日 生 (満62歳)
山脇 光治(やまわき こうじ、1962年10月13日 - )は、大阪府四條畷市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。
経歴=
プロ入り前=
浪商高校では牛島和彦・香川伸行の1年後輩で、2年生だった1979年には、控え選手ながら春夏とも阪神甲子園球場の全国大会に出場した。
春の選抜大会では準優勝。
夏の選手権全国大会では、比叡山高校との準々決勝に救援投手として甲子園初登板を果たしたが、準決勝で池田高校に敗れた。
3年生だった1980年には、内野手および控え投手として、夏の選手権大阪大会に出場。
北陽高校との準決勝に救援で登板したが、チームの勝利には至らなかった。
同年秋に、内野手として、ドラフト外扱いで阪神タイガースに入団した。
入団当初の背番号は64。
阪神選手時代=
1983年に、一軍公式戦へデビュー。
1986年には、当時のレギュラー遊撃手・平田勝男の故障で一軍に昇格すると、4月26日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)で一軍公式戦初本塁打を満塁本塁打で記録した。
この年以降は、主に三塁・遊撃の守備要員として、1990年代の前半までバイプレーヤーとして活躍。
その一方で、背番号を36に変更した1988年には、9月7日のウエスタン・リーグ公式戦(対南海ホークス)で、相手チームの永田利則と首位打者争いをしていたことから、全5打席敬遠を記録している。
その結果、打率.3250で、永田に2毛差で敗れて首位打者獲得はならなかった。
1990年では、一軍の公式戦で ……
山脇光治さんが誕生してから、62年と39日が経過しました。(22685日)