生年月日データベース

畠山持国はたけやまもちくに

守護大名、室町幕府管領[日本]

(応永5年生)

1398年

(ユリウス暦) 1455年 4月12日 死去享年58歳

畠山 持国(はたけやま もちくに)は、室町時代の守護大名。
室町幕府管領、河内・紀伊・越中・山城守護。
足利氏一門の畠山氏出身。
畠山満家の嫡男。
義就の父。
危機的状況を脱して管領に就任、勢力拡大を目指すも晩年にお家騒動を発生させ、畠山氏衰退の元を生み出した。
生涯= 隠居から復活= 応永5年(1398年)、畠山満家の嫡男として生まれた。
第4代将軍足利義持より偏諱を受けて持国(「国」は祖父・基国などが使用した畠山氏の通字)と名乗る。
父・満家と同じく室町幕府に出仕、正長2年(1429年)に第6代将軍足利義教(義持の弟)の元服式では法体である父の代わりを務め、永享5年(1433年)の父の死により家督相続、幕府の重臣として会議に参加した。
永享4年(1432年)の大和永享の乱で大和へ出兵、永享6年(1434年)に義教が延暦寺に軍勢を派遣させて包囲すると諫言して両者を和睦させ、翌永享7年(1435年)に再度大和に出陣、大和宇智郡守護に任命された。
三管四職家のうち、主に第3代将軍足利義満の時代に取り立てられ勢力を躍進させたのは赤松氏、一色氏、そして持国の畠山氏であったが、義満時代に有力な守護大名であった斯波氏や山名氏が弱体化すると、上の三家が将軍権力の障害となるようになった。
特に三管領の一角を占める畠山氏は幕政の中核をしめ、代々の将軍にとって目の上のたんこぶであった。
6代将軍足利義教は畠山満家の死後、「万人恐怖」と評 ……

推定関連画像