杉原輝雄すぎはらてるお
プロゴルファー[日本]
1937年 6月14日 生
2011年 12月18日 死去前立腺がん享年75歳
杉原 輝雄(すぎはら てるお、1937年〈昭和12年〉6月14日 - 2011年〈平成23年〉12月28日)は、大阪府茨木市出身のプロゴルファー。
約50年に渡って現役を続行してきた存在感の大きさから「日本プロゴルフ界のドン」と呼ばれた、永久シード権獲得者であった。
長男の敏一もプロゴルファー。
来歴=
農家の三男として生まれるが、実家は僅かな小作をしながら質素に暮らしていた。
小学生の頃から関西の名門である茨木カンツリー倶楽部にキャディとして働き、中学卒業後の1953年に同CCに就職。
飴やビー玉を買うための小遣いほしさに土日、ボールを拾うため弁当を持ってクラブに通うようになったのがきっかけであった。
定時制高校に通いながら、洗濯係を経て研修生となり、寺本金一らに師事しゴルフを始める。
その頃の中卒の初任給が3〜5,000円であったが、プロゴルファーは3万円くらいはもらっていたというクラブで得た情報に、杉原は大金が取れるゴルファーになることを決め込んだ。
客がラウンドする前から、終わるまで練習グリーンでずっとパットをするなど努力を続け、1957年に20歳でプロへ転向。
1958年の関西オープンでデビューすると、1962年の日本オープンでは一進一退の混戦を制し、陳清波( 中華民国)・橘田規・小針春芳を抑えて初優勝。
1963年にはアジアサーキットのフィリピンオープンでベン・アルダ( フィリピン)の2位に入り、1964年には中日クラウンズで中村寅吉との競 ……
杉原輝雄さんが誕生してから、87年と160日が経過しました。(31937日)
亡くなってから、12年と339日が経ちました。(4722日)
27215日間 生きました。