高橋勝成たかはしかつなり
プロゴルファー[日本]
1950年 8月5日 生 (満74歳)
高橋 勝成(たかはし かつなり、1950年8月5日 - )は、北海道旭川市出身のプロゴルファー。
SINACOVA所属。
略歴=
旭川で日本人の母の元に産まれ、北海高校卒業後は日本大学経済学部に進学し、ゴルフ部では主将を務めるなど腕を磨く。
大学卒業後は父の勧めにより1年間のサラリーマン生活を経験し、1975年5月1日にプロテスト合格。
練習熱心さと技術、用具などに関する研究心の旺盛なことに定評があり、プロ2年目の1976年にアジアサーキットの韓国オープンで初優勝 。
韓国オープンは3日目の雷雨のため54ホールに短縮された大会で、通算2アンダー214で並んだミヤ・アエ( ビルマ)と3ホールずつのプレーオフを戦い、2回目に高橋がアエを1ストロークリードして優勝 。
賞金1500ドル、日本円にして約105万円を獲得 。
3年目の1977年にはマレーシアオープンでスチュアート・ジン( オーストラリア)の2位に入り、1979年には群馬県オープンで国内初優勝を飾る。
1983年に初のシード権を獲得して以降15年連続で賞金シードを取り続け、シードの常連として活躍。
「マッチプレーの鬼」の異名を持ち、日本プロゴルフマッチプレー選手権を2度制覇。
特に1987年における尾崎将司との決勝は、日本ゴルフ史上に残る名勝負と言われ、「ジャンボキラー」として人気を集める。
しかし、1980年代後半になって足の踵に痛みが起きるようになり、プレーに集中できる状態ではなかった場面が見られるようになる。
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高橋勝成さんが誕生してから、74年と108日が経過しました。(27137日)