中井洽なかいひろし
政治屋[日本]
1942年 6月10日 生
2017年 4月22日 死去享年76歳
中井 洽(なかい ひろし、1942年〈昭和17年〉6月10日 - 2017年〈平成29年〉4月22日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
衆議院議員(11期)、国家公安委員会委員長(第80・81代)、拉致問題担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災)、法務大臣(第54代)、衆議院予算委員長、民社党副委員長、自由党副党首、民主党副代表などを歴任した。
父は元衆議院議員の中井徳次郎。
概要=
生い立ち=
満洲国新京市(現在の中国吉林省長春市)に生まれた。
終戦後の1946年(昭和21年)9月に三重県上野市(現在の伊賀市)に引き揚げた。
上野市立白鳳幼稚園・上野市立西小学校・上野市立崇広中学校を経て、東京都へ父と引越して東京都立立川高等学校、1969年(昭和44年)3月慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業した。
大学在学中から日本社会党の衆議院議員だった父の中井徳次郎の秘書を務めた。
社会党右派に所属して穏健的な民主社会主義政党を目指していた父の徳次郎が、マルクス主義政党を目指した社会党左派中心の執行部に嫌われたことから、左派の執行部は旧三重1区に左派の対立候補(第31回衆議院議員総選挙で福島重之を樹立、第32回衆議院議員総選挙で田口一男)を擁立して、社会党右派の中井徳次郎と社会党左派の思想対立が激化した。
父徳次郎が出馬を断念した事に伴い、父子で日本社会党を離党、父の穏健的な民主社会主義思想の後継者となった。
1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙に ……
中井洽さんが誕生してから、82年と164日が経過しました。(30115日)
亡くなってから、7年と213日が経ちました。(2770日)
27345日間 生きました。