生年月日データベース

三澤興一みさわこういち

プロ野球選手[日本]

1974年 6月8日 生 (満50歳)

三澤興一 - ウィキペディアより引用

三澤 興一(みさわ こういち、1974年6月8日 - )は、埼玉県入間郡大井町(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手(投手)。
2001年6月までの登録名は「三沢興一」(読みは同じ)。
アトランタオリンピック野球の銀メダリスト。
現在は読売ジャイアンツ三軍投手チーフコーチを務める。
経歴= プロ入り前= 帝京高校では1991年春夏、1992年春夏の4季連続甲子園出場を果たす。
2年秋の明治神宮大会では決勝で松井秀喜を擁する星稜高校に敗れた。
高校通算29本塁打を記録するなど3年時はエースで4番だった。
1992年の第64回選抜大会では4連投の末、決勝戦で東海大相模高校を3-2で破り、優勝を果たす。
同年の第74回全国選手権では1回戦で尽誠学園高校に0-1で敗れ、春夏連覇の夢を絶たれる。
早稲田大学では1年生の春から登板し、秋の明治神宮大会では準決勝で2回から登板すると8回を無失点で公式戦初勝利。
以降は織田淳哉の後を継いでエースとして活躍する。
リーグ通算65試合登板31勝16敗、防御率2.10、402奪三振。
1995年春季と1996年春季の2回ベストナインに選ばれる。
東京六大学野球での奪三振数は、和田毅、江川卓に次いで第3位を誇る。
1996年アトランタオリンピックでは日本代表に選ばれ、大学生にもかかわらず、初戦のオランダ戦に先発し勝利を挙げるなど3試合に先発、1試合リリーフの合計4試合登板し、銀メダル獲得に貢献する。
1996年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指 ……

三澤興一さんが誕生してから、50年と167日が経過しました。(18430日)

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