服部年宏はっとりとしひろ
元男子サッカー選手[日本]
1973年 9月23日 生 (満51歳)
服部 年宏(はっとり としひろ、1973年9月23日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。
現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
来歴=
選手=
小学生時代は清水市の選抜チーム・清水FCのメンバー。
東海大学第一高校卒業後、東海大学2年修了時にジュビロ磐田に練習生として参加、そのままプロ契約し、大学を中退した。
1年目から左のサイドバック・ウイングバックとしてレギュラーとして活躍。
他に中盤の底やストッパーを務めることができる守備のポリバレント選手。
磐田でも1999年、名波浩がヴェネツィアに移籍し、中盤構成に苦しむ中、ボランチを務める。
1996年アトランタオリンピックで、ブラジル代表の最大のキーマンとされたジュニーニョ・パウリスタのマンマーク役を務め完封した事で一躍その名を上げると、同年には日本代表にも初召集されデビューを果たす。
1998年ワールドカップ、2002年ワールドカップに出場。
トルシエ政権下では左ストッパーとしてレギュラーに定着していた時期もあったが、2001年にフランスに大敗後、守備強化を掲げたトルシエは服部を左サイドの守備固め要員に回し、左ストッパーにはユースや五輪で頭角を示していた中田浩二が起用されたため、本大会では控えになった。
監督がジーコに変わってからは左サイドバックとして起用されたが、世代交代やシステム変更もあり代表から外れ ……
服部年宏さんが誕生してから、51年と60日が経過しました。(18688日)