山崎忠昭やまざきただあき
脚本家[日本]
1936年 9月15日 生
1999年 8月 死去享年64歳
山崎 忠昭(やまざき ただあき、1936年9月15日 - 1999年8月)は、日本の脚本家、放送作家。
通称「ヤマチュー」。
略歴=
新潟県出身。
「新潟映研」で佐藤忠男の面識を得る。
早稲田大学第一文学部演劇学科卒業後、大学院に進むも中退。
在学時はワセダミステリクラブの創設に参加した。
1960年、日活が制作する“無国籍アクション”作品の脚本・企画にフリーの立場で関わるようになり、池田一朗に師事。
1961年公開の映画『明日が私に微笑みかける』で脚本家デビュー。
以降は『野獣の青春』(監督:鈴木清順)・『黒い賭博師 悪魔の左手』(監督:中平康)・『殺人狂時代』(監督:岡本喜八)などを執筆し、日本映画史に残るカルト映画の脚本家として知られるようになる。
1960年代後半にはテレビに活躍の舞台を移し、初期は『ハリスの旋風』『巨人の星』『ムーミン』『ルパン三世』など、黎明期のテレビアニメの脚本に参加した。
その後は『九ちゃん!』『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』などのバラエティ番組にも参加。
また、親しいディレクターによるワイドショーの制作に参加するようになり、アニメの仕事に距離を置いて『テレビ三面記事 ウィークエンダー』などの構成作家を担当した。
ワイドショーの仕事に区切りがついた後年にはテレビアニメの仕事を再開するも、世代交代により面識ある関係者の多くが引退・死去していたことで執筆依頼が減少。
この時期に参加した『聖闘 ……
山崎忠昭さんが誕生してから、88年と69日が経過しました。(32211日)