小川英おがわえい
脚本家[日本]
1930年 3月10日 生 (満94歳)
小川 英(おがわ えい、1930年3月10日 - 1994年4月27日)は、日本の脚本家。
本名:小川英二。
別名:江里 明。
略歴=
東京出身。
旧制鎌倉中学校(現鎌倉学園)、中央大学法学部卒業。
脚本家・池田一朗に師事し、主に日活のアクション映画を執筆。
1960年代の日活アクション映画の黄金期を支えた一人である。
1970年頃からはテレビドラマに活動の主軸を移し、『太陽にほえろ!』では、番組開始から終了まで関わり、主としてシナリオの監修・手直しをする役割を務めた。
これと並行して、アクション、サスペンス、時代劇など、幅広いジャンルで数多くのドラマ作品の脚本を執筆している。
1960年代末には、坪島孝、田波靖男、岩内克己らと映像制作プロダクション「ジャック・プロダクション」を設立。
また、シナリオライター養成の私塾「英塾」を主宰し、幾多のライターを輩出した。
1994年4月27日、呼吸不全のため死去。
主な担当作品=
映画=
太陽をぶち落せ (1958年)
星は何でも知っている (1958年)
ギターを持った渡り鳥 (1959年)
都会の空の用心棒
野獣の門 (1961年)
青い街の狼 (1962年)
国際秘密警察 指令第8号(1963年)
赤いハンカチ (1964年)
黒い賭博師 ダイスで殺せ (1965年)
黒い賭博師 (1965年)
泣かせるぜ (1965年)
二人の世界 (1966年)
黒い賭博師 悪魔の左手 (1966年)
波止場の鷹 (1967年)
殺人狂時代 (1967年)
100発100中 黄金の眼 (1968年)
燃える大陸(1968年)
忘れるものか(1968年)
100発100中 ……
小川英さんが誕生してから、94年と256日が経過しました。(34590日)