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テオドシウス1世Flavius Theodosius

ローマ帝国皇帝[ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0347年 1月11日

(ユリウス暦) 0395年 1月17日 死去享年48歳
テオドシウス1世 - ウィキペディアより引用

テオドシウス1世(ラテン語: Theodosius I, 347年1月11日 - 395年1月17日)は、古代ローマ帝国の皇帝(在位:379年 - 395年)。
フラウィウス・テオドシウス・アウグストゥス(ラテン語: Flavius Theodosius Augustus)、テオドシウス大帝(ラテン語: Theodosius Magnus)とも呼ばれる。
コンスタンティヌス1世以来、初めてコンスタンティノポリスに常住した皇帝である。
わずか4ヶ月ではあったが、東西に分裂していたローマ帝国を実質的に1人で支配した最後の皇帝となった。
生涯= 347年、ローマ帝国の上級将校だった大テオドシウスの子としてカウカ(現在のスペインのカスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県コカ)に生まれた。
368年にブリタンニアで発生した軍の反乱の鎮圧のために現地に赴いた父に同行し、374年にはモエシア(ドナウ川下流の属州)の軍司令官になった。
しかし、376年に反乱の疑いをかけられた父が処刑されると、テオドシウスは軍を退役し、生まれ故郷のカウカに退いた。
364年から375年にかけて帝国は、西帝ウァレンティニアヌス1世と東帝ウァレンスという兄弟2人の共同皇帝によって統治されていた。
その後、375年にウァレンティアヌス1世が死去すると、その息子たち(ウァレンティニアヌス2世とグラティアヌス)が西方の統治者として跡を継いだ。
378年、ウァレンスがハドリアノポリスの戦いで死んだ後、テオドシウスはグラティアヌスから東方の共同皇帝に任命された。
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