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ホノリウスFlavius Augustus Honorius

西ローマ帝国初代皇帝[西ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0384年 9月9日

(ユリウス暦) 0423年 8月15日 死去享年38歳
ホノリウス - ウィキペディアより引用

フラウィウス・アウグストゥス・ホノリウス(Flavius Augustus Honorius, 384年9月9日 - 423年8月15日)は、西ローマ帝国テオドシウス王朝の皇帝(在位:393年 - 423年)。
テオドシウス1世の次男。
西ローマ帝国の実質的な滅亡の一因を作った暗君として知られている。
生涯= 西ローマ帝国の皇帝へ= 即位 ホノリウスは東方正帝テオドシウス1世の次男として、彼の最初の妻アエリア・フラキアとの間に生まれた。
彼は2歳で東ローマ帝国のコンスルに任命された。
392年に西方正帝ウァレンティニアヌス2世が死亡すると、西ローマ帝国では元老院議員のエウゲニウスが次の皇帝として推戴された。
これに対してテオドシウスは393年に9歳の息子ホノリウスを「アウグストゥス」(すなわち西方正帝)であると宣言して西ローマ帝国へ侵攻、394年にフリギドゥスの戦いでエウゲニウスらを破って西ローマ帝国の首都メディオラヌム(現在のミラノ)を占領した。
治世= 反乱と僭称皇帝= 西ローマ帝国を征服して4か月後の395年1月17日、父テオドシウス1世が死去した。
遺言で兄アルカディウスが帝国領の東半分(東ローマ帝国)を、ホノリウスが帝国領の西半分(西ローマ帝国)を、それぞれ分担して統治することとなった。
ホノリウスの宮廷はメディオラヌムに置かれたが、まだ彼は10歳であったので、実際的な政務はヴァンダル族出身の将軍でテオドシウス家の外戚にあたるスティリコが行なうことになった。
ホノリウ ……

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