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コンスタンティウス2世Constantius II

ローマ帝国皇帝[ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0317年 8月7日

(ユリウス暦) 0361年 11月3日 死去享年45歳
コンスタンティウス2世 - ウィキペディアより引用

コンスタンティウス2世(Constantius II, 317年8月7日 - 361年11月3日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:337年 - 361年)。
当初は帝国を3分割して東方を担当したが、353年に単独の統治者になった。
キリスト教を優遇し、猜疑心の強さから粛清をたびたび行なった。
父帝コンスタンティヌス1世と同様、熱心なキリスト教徒であったが、父帝とは反対にアリウス派を支持し、司教アタナシウスを迫害した。
生涯= イリュリクムにおいてコンスタンティヌス1世と2度目の妻ファウスタ(マクシミアヌス帝の娘)の間に3兄弟の次男として生まれる。
326年に異母兄クリスプスがファウスタと密通したとの告発があり、コンスタンティヌスはクリスプスを裁判にかけて処刑した。
数ヶ月後、この告発は虚偽で、その出所が明らかにファウスタであるとして、ファウスタも処刑された。
宦官が取り仕切る宮廷内で他の兄弟とともに育てられ、324年に副帝の称号を与えられた。
337年に死去した父親の葬儀はコンスタンティノープルで行われたが、滞在地の距離から彼一人が参加した。
葬儀のしばらく後で、コンスタンティノープルにいる親族は従兄弟にあたるガッルス、ユリアヌスだけを残して粛清された。
当時の人々は、この事件の首謀者をコンスタンティウス2世であると考えた。
その後、3人の兄弟は会談を行い、揃って帝位に就いて帝国を3分割して統治することとなった。
コンスタンティウス2世はアンティオキアを拠 ……

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