生年月日データベース

クラウディウスTiberius Claudius Nero Caesar Drusus

第4代ローマ帝国皇帝[ローマ帝国]

紀元前0010年 8月1日

(ユリウス暦) 0054年 10月13日 死去暗殺享年65歳
クラウディウス - ウィキペディアより引用

ティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルスス(Tiberius Claudius Nero Caesar Drusus, 紀元前10年8月1日 - 54年10月13日)は、ローマ帝国の第4代皇帝である。
出自= 母方の祖父が第2回三頭政治を構成したひとりであるアントニウスであり、父方の祖母が初代皇帝アウグストゥスの後妻リウィア・ドルシッラである。
また、アウグストゥス帝その人も母方の祖母の弟、つまり大叔父にあたる。
さらに、父である大ドルススの兄が第2代皇帝ティベリウスで、実兄が第3代皇帝カリグラの父ゲルマニクス、加えて最後の妻にして第5代皇帝ネロの母である小アグリッピナは姪に当たる。
このように4親等以内に元首政初期のローマ国政の重要人物が集中するユリウス=クラウディウス朝の一員に生まれている。
しかし後述のように、身体的ハンデから一族中では疎まれ、長らく公務に関与することは出来なかった。
皇帝としての業績と死因= カリグラが暗殺されると、プラエトリアニに担がれる形で皇帝に就任した。
就任に際して元老院の承認を受けたものの、実質的にはプラエトリアニの軍事力によって就任しており、軍事力がローマ皇帝を決定する最初の例となった。
また、ユダヤの統治問題などを解決した。
身体の不具合から元老院議員に影響力や友誼を持っていなかったため、カエサル家の解放奴隷を積極的に行政に登用した。
このことは非元老院議員の統治への関与を増大させ、皇帝への権力集中や ……

推定関連画像