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中島河太郎なかじまかわたろう

ミステリー文学評論家、国文学者[日本]

1917年 6月5日

1999年 5月5日 死去享年83歳
中島河太郎 - ウィキペディアより引用

中島 河太郎(なかじま かわたろう、1917年6月5日 - 1999年5月5日)は、日本のミステリー文学評論家、アンソロジスト、国文学者。
本名は、中嶋馨(なかじま かおる)。
日本推理作家協会第7代理事長。
日本ミステリー文学大賞受賞者。
和洋女子大学元学長・名誉教授。
江戸川乱歩の薫陶を受けた推理小説研究の第一人者で、推理小説に加え国文学・民俗学の書誌学者としても知られる。
別名に小城魚太郎、石羽文彦、玉井一二三。
略歴= 鹿児島県鹿児島市生まれ。
鹿児島県立第一鹿児島中学校、第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学文学部国文科で中世説話文学を専攻する。
旧制中学時代から兄の影響で「新青年」を読み始め、探偵小説に親しむ。
また、鹿児島での学生時代は、地元出身教師の郷土史自慢の多さに辟易していた。
旧制七高の学生時代に、当時新興の学問だった民俗学に取り組み始め、鹿児島民俗研究会結成に参加。
1942年に東京大学国文科を卒業して教師となり、神奈川県立横浜第一中学校 (旧制)を経て、東京都立第七中学校 (旧制)・東京都立墨田川高等学校の教諭をつとめる。
柳田國男、正宗白鳥に師事し、1945年に柳田國男の説話会に参加。
1947年に探偵新聞に連載した「日本推理小説略史」で江戸川乱歩に注目され、ミステリー小説評論家としての本格的な活動を開始する。
1955年、まだ書き下ろし小説を募集していなかった第1回江戸川乱歩賞を、外国・日本推理 ……

中島河太郎さんが誕生してから、107年と169日が経過しました。(39251日)
亡くなってから、25年と201日が経ちました。(9332日)
29919日間 生きました。

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