紅野敏郎こうのとしろう
日本文学者[日本]
1922年 6月19日 生
2010年 10月1日 死去肺炎享年89歳
紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 2010年10月1日)は、日本の日本文学研究者。
専門は日本近代文学、特に白樺派の作家。
早稲田大学名誉教授。
息子は日本大学教授で日本文学研究者の紅野謙介。
来歴=
兵庫県西宮市生まれ。
中学卒業後は家業の醸造業に従事するが、1943年招集されてスマトラ島に出征する。
敗戦後、1年あまりの捕虜生活を送る。
1947年大東文化専門学校国文科に入学、1949年早稲田大学第一文学部国文学科に編入学。
1952年、同大学卒業。
1953年から1960年まで京華学園教諭を務め、1960年早稲田大学教育学部専任講師。
1962年同助教授、1967年同教授。
1992年定年退職、名誉教授。
日本近代文学館常務理事を務めた。
1983年(昭和58年)には山梨県嘱託の「文学館構想策定懇話会」委員の一人となり、1991年(平成3年)には三好行雄の後任として山梨県立文学館の2代館長となる。
山梨県立文学館では1993年(平成5年)刊行の『芥川龍之介資料集』の刊行にも携わり、1992年に開始された「やまなし文学賞」では実行委員長を務める。
2005年3月には山梨県立文学館館長を退任し、後任は近藤信行が務めた。
2006年、瑞宝中綬章受章。
2010年10月1日、肺炎のため東京都東村山市の病院で死去。
88歳没。
人物=
書誌学・文献学的方法を用いて、白樺派の作家などを中心に研究した。
日本近代文学について厖大な量の論考があり、近代文学研究の泰斗とされる。
晩年の ……
紅野敏郎さんが誕生してから、102年と157日が経過しました。(37413日)
亡くなってから、14年と53日が経ちました。(5167日)
32246日間 生きました。