菊地原毅きくちはらつよし
プロ野球選手[日本]
1975年 3月7日 生 (満49歳)
菊地原 毅(きくちはら つよし、1975年3月7日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、プロ野球コーチ。
来歴=
プロ入り前=
小学3年から野球を始め、地元の野球チーム「並木ヤンキース」に所属する。
神奈川県立相武台高等学校時代は1年秋からエースとなり関東屈指の左腕投手と言われ、夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会では28回連続無失点、33イニングで44奪三振を記録するなど大活躍を見せた。
無名校ながら甲子園出場が期待されたが、準々決勝で副島孔太や高橋由伸を擁する桐蔭学園高等学校にコールド負けを喫し、甲子園出場は果たせなかった。
1992年のドラフト会議において、ヤクルトスワローズと広島東洋カープの競合の末、広島から2巡目で指名を受け、入団。
第一次広島時代=
入団後4年間は一軍登板がなかった。
台湾時代=
1995年は鈴木健・池田郁夫・川島堅・千代丸亮彦と共に業務提携していた時報イーグルス(1997年に活動休止)に派遣された。
第二次広島時代=
1997年に一軍初登板を果たしたが、登板はその1試合のみで定着は出来なかった。
1998年はシーズン初登板で延長15回に8失点するなど、2000年までは大半を二軍で過ごしていた。
2001年は投手不足が深刻だった広島において、貴重な左の中継ぎとして78試合に登板。
防御率4.91と悪いながらも、稲尾和久に並ぶ当時の日本プロ野球シーズン最多登板タイ記録を達成した。
しかし、2002年は前年 ……
菊地原毅さんが誕生してから、49年と273日が経過しました。(18170日)