前田陽一まえだよういち
映画監督[日本]
1934年 12月14日 生
1998年 5月3日 死去肝不全享年65歳
前田 陽一(まえだ よういち、1911年〈明治44年〉11月3日 - 1987年〈昭和62年〉11月22日)は、日本のフランス文学者、比較文学・哲学研究者。
東京大学名誉教授。
父はGHQによる占領期に、文部大臣を務めた教育家の前田多門。
妹は精神科医・翻訳家で、ハンセン病救済活動で著名な神谷美恵子。
来歴・人物=
群馬県利根郡沼田町(現・沼田市)に生まれる。
小学校は東京、中学校はスイス・ジュネーヴで過ごす。
成城高等学校を経て、1934年東京帝国大学文学部仏文科卒。
同年フランス政府招聘留学生として留学。
パリ大学在学中は、外務省の河相達夫の推薦により外交官補となり、ドイツ占領下のパリ大使館で副領事を務めるが、ノルマンディー上陸作戦後、ドイツへ逃れ、1945年、米軍に拘束され、アメリカで終戦を迎える。
この逃避行は、ヴァイオリニストの諏訪根自子、ドイツ外交官補の大賀小四郎が一緒だった。
帰国後前田は、外交官試験を通っていなくても外交官として遇するという河相の言葉が文書化されていないことを知り、研究専攻に戻る。
1946年第一高等学校教授に就任。
1947年文学博士。
東京大学教養学部助教授を経て、1951年より同教授となる。
1972年に東京大学を定年退職し名誉教授となる。
大江健三郎の東大時代の恩師にあたり、不破哲三のフランス語の師匠でもあった。
日本ユネスコ国内委員会副会長、国語審議会副会長を歴任。
1981年からは東京都立中央図書 ……
前田陽一さんが誕生してから、91年と15日が経過しました。(33253日)
亡くなってから、27年と240日が経ちました。(10102日)
23151日間 生きました。



