谷内正太郎やちしょうたろう
外交官、国家安全保障局長[日本]
1944年 1月6日 生 (満80歳)
谷内 正太郎(やち しょうたろう、1944年〈昭和19年〉1月6日 - )は、日本の外交官。
外務事務次官、政府代表、内閣官房参与、国家安全保障局長(初代)、内閣特別顧問を歴任。
人物=
石川県生まれ、富山県育ち。
貧しい環境で苦労して育つ。
大学時代は若泉敬主宰の研究会に参加し、研鑽を積む。
学者を目指して大学院に進学するものの、指導教官の急死などで断念し、外交官となる。
外務事務次官としては異例の3年(在任 2005年(平成17年)1月4日 - 2008年(平成20年)1月17日)を務め、安倍内閣の外務大臣・麻生太郎の提唱した外交方針(価値観外交)の策定・実行に中心的役割を果たした。
退官後は早稲田大学、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス等で教鞭を執り、前記大学合同の授業は谷内塾と呼ばれた。
なお、東大(駒場)からは専任講師をオファーされたが教授職を希望して断った。
2012年(平成24年)に発足した第2次安倍内閣では内閣官房参与に就任した。
外務省における田中眞紀子と鈴木宗男の争いにおいては、田中眞紀子に忠実に仕えた。
鈴木宗男に対しては「私は鈴木さんには詫びない。
鈴木さんの考え方は、外交論として筋の通ったものだ。
それを踏まえたうえで、外務省の方針を決める。
それで鈴木さんとぶつかるなら、残念だけれども仕方が無い」という態度をとり、後日の鈴木宗男バッシングにも加わらなかった。
これを鈴木に伝えた外務省の情報官・佐藤優に ……
谷内正太郎さんが誕生してから、80年と321日が経過しました。(29541日)