筒井順慶つついじゅんけい
戦国大名[日本]
(天文18年3月3日生)
(ユリウス暦) 1549年 3月31日 生
1584年 9月15日 死去享年36歳

筒井 順慶(つつい じゅんけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。
得度して順慶と称する前は、はじめ藤勝(ふじかつ)、のちに藤政(ふじまさ)と名乗っていた。
大和筒井城主、後に大和国郡山城主。
幼くして家督を継ぎ大和国に侵入した松永久秀と戦い続け、後に織田信長に仕え、大和国首となった。
事績については『多聞院日記』に詳らかに記述されている。
生涯=
出生から家督相続=
大和国の戦国大名・筒井順昭の子として生まれた。
筒井氏は興福寺一乗院に属する宗徒[注釈 1]で、そのうち棟梁として指揮し寺務の配下として奈良市中を管理する官符宗徒の筒井家が武士化し、父親順昭の代には大和最大の武士団となり、筒井城を拠点に大和の多数の豪族を従え戦国大名化していた。
母は山田道安の娘・大方殿。
天文19年(1550年)、父が28歳で病死したため、叔父の筒井順政の後見の元[注釈 2]、2歳で家督を継ぐこととなる。
当時の大和は、興福寺の勢力が強く僧兵も擁したが、その下に「大和四家」と呼ばれる筒井氏、越智氏、箸尾氏、十市氏が勢力を伸ばし争ってきた、守護職の存在しない国であった。
松永久秀、大和侵攻=
永禄2年(1559年)から三好長慶の寵臣である松永久秀が侵攻し、同年7月24日久秀が大軍での初戦の筒井城東南の石上(現・天理市石上町)の井戸良弘の井戸城を攻めた際に、叔父の順政は背後から取り巻く後詰に出陣したが、久秀にかなわ ……
亡くなってから、440年と285日が経ちました。(160995日)