李忠成りただなり
男子サッカー選手[韓国→日本]
1985年 12月19日 生 (満38歳)
李 忠成(り ただなり、1985年12月19日 - )は、東京都保谷市(現在の西東京市)出身の元プロサッカー選手。
現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード、セカンドトップ)、ミッドフィールダー。
元日本代表。
来歴=
プロ入り前=
碧珍李氏 の韓国籍の在日韓国人4世として生まれる。
名前はゴルファーの高橋勝成と陳志忠に由来する。
韓国語名はイ・チュンソン(이충성、Lee Chung-Sung)。
実家は西東京市田無で焼肉店を経営[17]。
経営者である父、李鉄泰(イ・チョルテ)も、かつて横浜トライスターSCでプレーしたサッカー選手(センターバック[18])という経歴を持つ[19]。
また、元サッカー北朝鮮代表の金鍾成は叔従父にあたる[20]。
韓国籍であったが、2007年に日本に帰化している[21]。
4歳の時にサッカーを始める[22]。
東京朝鮮第九初級学校に在学し、地元・こみねFCに在籍。
小学5年生で横河電機(現・東京武蔵野シティFC)ジュニアユースのセレクションに合格したため、6年生から同チームの練習に参加するようになる[19]。
練習生として出場したFC東京U-15との練習試合で活躍し、相手監督の柴田峡から勧誘を受けたが、地元の田無から江東区のFC東京深川グランドに通う負担を考え、中学時代は横河電機ジュニアユースでプレーした[24]。
2001年、東京都立田無高等学校に入学と同時にFC東京U-18に加入。
在籍時の3年連続で国体 ……
李忠成さんが誕生してから、38年と337日が経過しました。(14217日)