笠井叡かさいあきら
舞踏家[日本]
1943年 11月25日 生 (満80歳)
笠井 叡(かさい あきら、1943年11月25日 - )は、舞踏家、振付家、オイリュトミスト。
概要=
1943年、三重県生まれ。
明治学院大学経済学部卒業。
父の笠井寅雄は札幌高等裁判所判事などを歴任した裁判官だったが、洞爺丸事故で死去。
江口隆哉と宮操子にモダンダンス、ジャン・ヌーボにパントマイム、千葉昭則にクラシック・バレエを学んだのち、大野一雄の門を叩く。
そこで土方巽と出会い、ともに前衛舞踊活動を始める。
土方巽の「バラ色ダンス——A LA MAISON DE M. CIVECAWA(澁澤さんの家の方へ)」に出演した。
ヨガも学ぶ。
「タンホイザー」など舞踏作品を発表。
神秘主義、神智学への造詣が深く、グルジエフ、シュタイナー、ウスペンスキー、バタイユ、密教、神道、古インド神秘思想、キリスト教神秘主義など多岐に渡って探求し、その理論的な成果に「天使論」がある。
1979年より1985年までドイツ留学。
シュトゥットガルトのオイリュトメウム(シュタイナー・オイリュトミー学校)在籍。
エルゼ・クリンクらに学ぶ。
オイリュトミーとシュタイナーの神智学を学ぶ。
帰国後、オイリュトミーとダンスを平行して活動を続ける。
1971年、武蔵国分寺跡近くの自宅の庭に「天使館」と名付けた個人スタジオ形式の稽古場を開設。
以来渡独期間を除き、ここで舞踏やオイリュトミーを教授してきた。
2005年、天使館はより学校に近い形式で再スタートを切った。
2009年 ……
笠井叡さんが誕生してから、80年と362日が経過しました。(29582日)