カシアス内藤かしあすないとう
プロボクシング選手[日本]
1949年 5月10日 生 (満75歳)
カシアス内藤(カシアスないとう、1949年5月10日 - )は、日本の元プロボクサー。
本名は内藤 純一(ないとう じゅんいち)。
兵庫県神戸市生まれ、神奈川県横浜市育ち。
アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフであり、アメリカ名はロバート・ウィリアムス・ジュニア。
元東洋(OBF)ミドル級チャンピオン、最高位は世界ミドル級1位。
現役当時は「和製クレイ」、「東洋のクレイ」などと呼ばれた。
リングネームはモハメド・アリの改名前の名前「カシアス・クレイ」からとったもので、アリと対面した際に承諾を得ている。
E&Jカシアス・ボクシングジム会長を務める。
戦績39戦27勝(13KO)10敗2分。
長男の内藤律樹、次男の内藤未来もプロボクサー。
来歴=
黒人のアメリカ兵と日本人女性との子として神戸で生まれ、横浜で育った。
父は1951年に朝鮮戦争で戦死している。
神奈川県の武相高校でボクシング部に入部し、インターハイに出場、ミドル級の高校チャンピオンとなる。
プロとしてのリングネームはカシアス・クレイ(のちのモハメド・アリ)から取った。
内藤自身は「カシアス」のリングネームに気が重かったが、デビュー翌年から名トレーナーとして知られるエディ・タウンゼントの指導を受けると連勝街道を邁進し、無敗のまま1970年2月に日本ミドル級チャンピオン、翌1971年1月には東洋ミドル級チャンピオンとなり、周囲は重量級の世界チャンピオンの誕生 ……
カシアス内藤さんが誕生してから、75年と195日が経過しました。(27589日)