児島明子こじまあきこ
モデル[日本]
1936年 10月29日 生 (満88歳)
児島 明子(こじま あきこ、1936年10月29日 - )は、日本のファッションモデルである。
1959年(昭和34年)のミス・ユニバース・ジャパンでもあり、アメリカ合衆国で開催された第8回ミス・ユニバース世界大会(ミス・ユニバース1959)で栄冠を獲得した。
日本人として、アジア人として初めてのミス・ユニバース世界大会優勝者である。
「有色人種」初のミス・ユニバースとも言われる。
また、1952年の第1回大会で優勝したミス・フィンランド、アルミ・クーセラ以来の旧枢軸国(第二次世界大戦の敗戦国)出身のミス・ユニバースでもあり、アメリカと戦った国としては初めてである。
宝田明の最初の妻、児島未散の母としても知られる。
人物・来歴=
1959年以前=
1936年(昭和11年)10月29日、東京府東京市(現在の東京都区部)世田谷区豪徳寺に生まれた。
出生時の体重は1貫110匁(4160グラム)もあった。
5歳から水泳を始めた。
小学校2年のとき大東亜戦争(太平洋戦争)のため高知県高知市に疎開し、高知市立潮江小学校・私立土佐女子中学校を卒業した。
4人きょうだいの2人目であったが、1950年(昭和25年)に旧軍人だった父が亡くなり、以後は姉や弟と共に母に育てられた。
高知市立高知商業高等学校在学中は平泳ぎの選手として活躍した。
1953年(昭和28年)推薦を辞退した姉の代わりに、帝国劇場で開かれた第2回ミス・ユニバース日本大会に16歳の若さで四国代表として出場し、日本代表に ……
児島明子さんが誕生してから、88年と23日が経過しました。(32165日)