松田国英まつだくにひで
競馬調教師[日本]
1950年 9月28日 生 (満74歳)
松田 国英(まつだ くにひで、1950年9月28日 - )は日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師である。
来歴=
様似町で競走馬の生産牧場の息子として生まれる。
高校卒業後、地元の大手牧場の口利きで競馬専門紙「競馬ニホン」に就職しトラックマンとなる。
元々牧場育ちで競走馬の騎乗経験も豊富だったことに加え、当時は今ほど競走馬の管理がうるさくなかったことから、トラックマンとしての勤務の傍らトレーニングセンターで競走馬に騎乗することも少なくなかったという。
1979年に競馬ニホンを退職。
その後日迫良一・伊藤修司・山内研二厩舎での調教助手を経て、1995年に調教師免許を取得。
調教師試験においては「11年連続で1次試験を突破」という珍記録を持っており(逆に言えば2次試験に10年連続落ち続けたということでもある)、当時は「1次試験の鬼」と揶揄されていた。
初出走は1996年11月30日の中京競馬第4競走でのタニノポリシー(10着)。
初勝利は1997年2月8日の小倉競馬第2競走でのタニノマウナケア(延べ28頭目)であった。
2021年2月28日をもって、定年のため調教師を引退。
基本方針=
繁殖という第二の馬生を強く意識しており、牡馬には種牡馬入り出来るよう厳しい調教を(これが後述の批判にも繋がっている)、牝馬には無事に牧場に帰せるよう余裕残しの調教を徹底している。
こだわりと批判=
1600mと2400mという異なる距離のGIで好走すれば ……
松田国英さんが誕生してから、74年と54日が経過しました。(27083日)