伊藤修司いとうしゅうじ
元競馬騎手、調教師[日本]
1930年 2月22日 生
2006年 1月 死去享年77歳
伊藤 修司(いとう しゅうじ、1930年2月22日 - 2006年1月 )は兵庫県出身のJRA元騎手、元調教師。
父は伊藤勝吉調教師。
上野清章(旧姓・伊藤)騎手は元・娘婿だった(娘の離婚を機に清章を勘当し以後絶縁)。
来歴=
1946年、阪神商業高等学校卒業後、尾形藤吉厩舎に騎手見習として入門。
1948年に騎手免許を取得。
1953年からは父親の厩舎で騎手として活躍し、1961年にチトセホープで優駿牝馬(オークス)を勝ち、連闘で臨んだ東京優駿競走で3着に入るなど活躍した。
父の急死により1963年に引退、通算成績は981戦197勝であった。
1964年に調教師免許を取得し、同年より京都競馬場で厩舎を開業する。
1965年にハツライオーで札幌記念を勝ち重賞初制覇、以後1991年まで、27年連続JRA重賞勝利という記録を達成している。
名ジャンパーグランドマーチスや、華麗なる一族と呼ばれたハギノトップレディ・ハギノカムイオー、武豊に初めてのGI勝利(菊花賞)をもたらしたスーパークリークなど、数多くのGI馬を育成した。
2000年に定年を迎えて調教師を引退、調教師としての通算成績は9138戦1223勝(重賞83勝)。
2006年1月末に死去。
訃報が伝えられたのは同年5月のことであった。
代表騎乗馬=
チトセホープ(1961年優駿牝馬優勝、啓衆賞最優秀4歳牝馬)
シーザー(1961年宝塚記念優勝)
代表管理馬=
マーチス(1967年阪神3歳ステークス、1968年皐月賞優勝、啓衆賞最優秀4歳牡馬)
ヒデコトブキ(1969年桜花賞 ……
伊藤修司さんが誕生してから、94年と272日が経過しました。(34606日)