生年月日データベース

武田百合子たけだゆりこ

エッセイスト[日本]

1925年 9月25日

1993年 5月27日 死去肝硬変享年69歳

武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 1993年5月27日)は、日本の随筆家。
小説家武田泰淳の妻で、泰淳の死後に、泰淳と過ごした富士山荘での日記『富士日記』を出版し、処女作にして高い評価を受ける。
その後、寡作ながら、結晶度の高い随筆を発表して多くの熱狂的なファンを得る。
娘は写真家の武田花。
各界に親交が多く、埴谷雄高、深沢七郎、村松友視、大岡昇平、色川武大、吉行淳之介、辻邦生、いいだもも、女優加藤治子などと親しかった。
略歴= 1925年(大正14年)9月25日、神奈川県横浜市で代々の富豪、鈴木家の三女として生まれる。
1932年に母、あさのが死去する。
以後、大叔母みつが母代わりになる。
小さい頃から琴や三味線を習っていた。
1943年(昭和18年)、横浜第二高等女学校(現・神奈川県立横浜立野高等学校)を卒業する。
在学中に同級生たちと同人誌『かひがら』に参加し、詩や文章を投稿する。
当時の文章は、既に後の「武田百合子」の片鱗を感じさせる、独特の感性のものだった。
また、室生犀星が選者の新聞の詩歌欄に投稿して、入選する。
兄の同級生に後の劇作家八木柊一郎がいて、この頃に親しい関係となる(八木が1946年に執筆した短編小説「放心の手帖」にも、百合子をモデルとしたキャラクターが登場している)。
卒業後は図書館に勤務する。
1944年に父、精次が死去する。
1945年5月、横浜大空襲により自宅は全焼した。
戦後は ……

武田百合子さんが誕生してから、99年と57日が経過しました。(36217日)
亡くなってから、31年と178日が経ちました。(11501日)
24716日間 生きました。