羽佐間重彰はざましげあき
産経新聞社・フジテレビ元社長[日本]
1928年 5月3日 生 (満96歳)
羽佐間 重彰(はざま しげあき、1928年(昭和3年)5月3日 - 2023年(令和5年)6月19日)は、日本の実業家。
位階は従三位。
ポニー、キャニオンレコード、フジテレビジョン、ニッポン放送、産業経済新聞社の社長を務めた。
東京府出身。
来歴・人物=
早稲田大学大学院文学研究科修了。
志賀信夫(放送評論家)は、大学と大学院の同級生。
大映企画部、日映を経て、1958年(昭和33年)8月、ニッポン放送に入社。
ディレクター・プロデューサー時代には、倉本聰が補佐を務めた。
石田達郎の一番弟子的存在の編成部長として、深夜放送『オールナイトニッポン』の基本フォーマットを考案し、1967年(昭和42年)から放送を開始。
その後、常務、専務を歴任した。
ポニーおよびキャニオンレコード社長を経て、1985年(昭和60年)6月、フジテレビ社長に転じるが、1988年4月、フジサンケイグループ議長で同社会長の鹿内春雄が急逝。
隠居同然だった父・鹿内信隆は急ぎ、佐藤宏明を身代わりの婿養子に仕立てグループの統率を図ったが、併せて社長人事にも手を付けた。
信隆はかねて、「羽佐間は春雄のやろうとすることを邪魔ばかりしている」と強い不満を持っていたこともあり、6月、羽佐間を更迭して日枝久を社長に据え、羽佐間はニッポン放送社長に回った。
1989年(平成元年)10月、信隆は宏明を世界に向けて"披露"しようとその引き立て役としてレーガン前大統領を招待する。
グループ内 ……
羽佐間重彰さんが誕生してから、96年と202日が経過しました。(35266日)