元良勇次郎もとらゆうじろう
心理学者[日本]
1858年 12月5日 生
1912年 12月13日 死去享年55歳

元良 勇次郎(もとら ゆうじろう、安政5年11月1日(1858年12月5日[2]) - 大正元年(1912年)12月13日)は、日本最初の心理学者である。
旧姓は杉田、1881年に元良家の養子となる[3]。
墓所は青山霊園。
人物=
「元良」は勇次郎が結婚した後の姓である。
現在、一般に、元良勇次郎と呼ばれている。
なお船舶工学者の元良誠三と物理学者の高橋秀俊は勇次郎の孫にあたる。
勇次郎の生まれた杉田家は、伝承によると九鬼守隆の学友であった杉田市郎右衛門の末裔とされている[1]。
父親は三田藩の儒学者であったが、勇次郎が若いころ(1872年)に死去した[1]。
勇次郎は、同志社英学校最初の学生(全8名)で、開校当初に中島力造、上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけたひとりだった。
同志社英学校では当時としてはめずらしい性理学(現在の心理学)の授業が行なわれており、ここでの心理学との出会いが彼の一生を決定付けた。
性理学の講義を担当していたJ・D・デービスが蔵書していたW. B. カーペンター『精神生理学の原理』(Carpenter 1874)に感化される[4]。
家族=
実父・杉田泰 ‐ 三田藩儒者。
[5]
養父・元良惣右衛門[5]
妻・元良興年(1861-) ‐ 惣右衛門の二女。
[5]
長男・元良信太郎(1882-1946) ‐ 造船工学者、三菱重工業、三菱製鋼各社長。
東京帝大卒の工学博士で、元良式船舶動揺制止装置で帝国学士院賞受賞[6]。
岳父に竹越與三郎[7]。
三男に元良誠三、その岳父に岩崎隆弥。
三男・ ……
元良勇次郎さんが誕生してから、166年と206日が経過しました。(60838日)
亡くなってから、112年と199日が経ちました。(41107日)
19731日間 生きました。