東久邇信彦ひがしくにのぶひこ
元皇族・信彦王[日本]
(盛厚王第一子、東久邇家第3代当主、昭和天皇の初孫)
1945年 3月10日 生
2019年 3月20日 死去享年75歳
東久邇 信彦(ひがしくに のぶひこ、1945年〈昭和20年〉3月10日 - 2019年〈平成31年〉3月20日)は、日本の旧皇族。
盛厚王と同妃成子内親王の第1王男子。
皇籍にあった時の名は信彦王(のぶひこおう)。
明治天皇の曾孫、昭和天皇・香淳皇后の初孫であり、 今上天皇 (徳仁) の従兄にあたる。
全日本野球会議名誉会長、日本タイ協会常務理事、世界連邦文化教育推進協議会の会長、特定非営利法人 国際安心安全協会最高顧問、富士山大賞大会長、崇敬会「東郷会」名誉会長、日本の伝統を守る会名誉会長、日本モンテネグロ友好協会名誉総裁など、数多の要職・名誉職を歴任した。
生涯=
父の盛厚王と母・成子
1945年(昭和20年)3月10日午後1時20分、東久邇宮家の盛厚王の第1子(長男)として鳥居坂御殿において出生。
母の盛厚王妃成子内親王の出産時は東京大空襲の最中であり、防空壕の中での誕生となった。
3月16日に信彦と命名される。
母方の祖父母である昭和天皇と香淳皇后にとっては、初孫であった。
1947年(昭和22年)10月14日、祖父・東久邇宮稔彦王が皇族の身分を離脱したため、信彦王も両親と同様に皇室典範(昭和22年法律第3号)第13条により皇籍離脱した(昭和22年宮内府告示第16号)。
当時、まだ2歳であった。
皇籍離脱後は、民間人、東久邇信彦として生活した。
慶應義塾幼稚舎から慶應義塾で修学し、慶應義塾大学法学部卒業後は三井銀行に勤務。
私生活では、大学時代に友 ……
東久邇信彦さんが誕生してから、79年と256日が経過しました。(29111日)
亡くなってから、5年と247日が経ちました。(2073日)
27038日間 生きました。